怠け者の私 (斉藤宏之 元3J)

私は、休みの朝パジャマを着替えない。手を洗って口を漱いだらそのまま食事し、一日中をパジャマで過ごす。夏場はパンツ一丁だから宅急便屋さんが来たときにはあわてて何かを穿いたり着たり。要は「怠け者」で泥縄でしか動きたくないのだ。
クラブ活動などもやりたくなかった。束縛されたくなかったのだ。勉強も嫌いだったが、やらないと仕事につけないのではないかいう不安があり試験前と高校3年のときにはしょうがなくやった。
26歳で大学を卒業した。食うためには仕事をしないといけないので大学を卒業してからは仕事を覚えるのに必死だった。なんせやっと卒業し、やっと医者になったことがばれては困るのだ。不思議なもので目の前に困った人がいると「いい振りこき」なので、頑張れた。そのうちに仕事を頼まれるようになり、自分でも少しは仕事ができるかもしれないと思うようになり楽しくなっていった。試験前日に麻雀に誘われても断ることができなかったのとまるで同じ状況だった。
寝たきりで通院できないので家まで往診に来て、なんていわれるともう頑張っちゃう。自分しか行って上げれる人がいないんだ、なんてうぬぼれちゃって。
思えば、私はよく友人の家に遊びに行った。小学生の同級生の家はたぶん全員の家に行ったと思う。いろんな家庭があってとても面白いのだ。各家々の掟があってそれを守りながらみんな暮らしているのだ。
そんな私は患者にあまりどうこうしようなどとは言わないことにしている。とくに訪問診療の場は患者の家であるので家族の思いは大切である。なので、私は20年も風呂に入っていない100歳のお年寄りにいきなり訪問入浴を提案したりはしない。ところが、まずはとばかりに入浴を勧める偉い人たちがいるのだ。私には自分の価値観を押し付けているようにしか見えないのだが、これこそが正しい生き方であるとばかりに部屋をきれいにし、風通しを良くし、風呂に入れるのだ。そして翌日にはお亡くなりになるのだが。
決してどうせ死ぬのだからと言っているのではない。自分の気持ちよさを押し付けてはいけないと言っているのだ。
私は、乾燥肌の脂性なので、酒を飲んで帰っても必ず入浴する。からだによくないのだがそうしたいのだ。ただ早死にしたくないので60歳になったら少し飲み方は早めに切り上げるか、飲んだら手足だけ洗って入浴はしないようにしようとか考えてはいる。
が、もし治らない病気だったらどうだろう。好きなようにしてもいいんじゃあないのか、と思うのだ。我慢することで豊かさを得れるならば我慢もするが、得られないのであれば我慢する必要はないと思う次第である。
しょうがなくやることだけでも忙しいので、それで十分なのだが、これからはやりたいを、たくさんやるような人生にしていきたいと思っている。
これから先、我慢があまりできない自分がどれくらい喜びを得られるのか不安だが、少しの我慢でたくさんの喜びを得たいと思っている。こんな虫のいい話はダメかな?でもこうやって生きてきたのでもう少しこうやって生きていくことになるだろう。
怠け者の私は、多くの皆様にご迷惑をおかけして生きてきたとおもうのだが、土崎出身のよしみで私に声をかけてくれた佐々木章君、本当にありがとう。皆様お会いできる日を楽しみにしておりますので、どうかよろしくお願いします。

コメント欄

島礼 / 29 7月 2018 5:51am 
昨日、佐々木章君と飲んだとき、斉藤の所に何か書けと言われて書いています。
思い出すのは、何年か前診療所に遊びに行った時の心肺蘇生講習会の事です。近所の皆さんの前で行った宏之の心臓マッサージのすばやい身のこなしに感動しました。AEDの使い方の解説も実践的でした。その後盛岡に場所を移して飲んだ時は、患者さんからの相談電話(時間外)の対応が親切でした。
まさに、地元に根付いて、誰からも信頼されるお医者さんでした。「なまけもの」「いいふりこき」なんてとんでもない、「はたらきすぎ」にならないようにセーブしてやっていってください。
斉藤の診療所の大きな窓から見える岩手山のきれいだったこと。ちょっと羨ましかった。

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