3年A組の菅野均です

3年A組の菅野です。1年はC組、2年はI組、最後に福来たる“別別共”です。高校を出てからはずっと東京暮らしです。在秋田の期間がとうとう人生の3分の1をきってしまいましたが、最近になって里心がついたというか、秋田に戻って生計を立てる方法はないかと真剣に考え始めた今日この頃です。

秋田を出た後は、一浪一留で大学卒業。そして、今はつぶれてしまった岩波映画製作所なるところに就職し、台本書きになりました。30歳を過ぎた頃、「俺はこのままでいいんだろうか?」という無責任な天の声が聞こえてきて、調子に乗って会社を飛び出しました。が、しかし、結局は同じような仕事を続けて今日に至ります。変わったことと言えば、フリーランスという、生活保証も老後の保障もない身分に落ちたことくらいですかね。
台本書きといっても、華やかなテレビの構成作家などとは違い、それだけで食えるほど潤った業界ではありませんので、ほかに展示の原稿を書くとか、イベントの台本を書くとか、まあ「よろず雑文書き」として辛うじて食いつないでおる次第です。

3.11以降、防災関連の仕事が多くなりました。今年になってからも、鎌倉市が津波に襲われたらどうなるかという被害想定映像と、「南海トラフ巨大地震」「首都直下地震」の被害想定映像に携わりました。どっちも、CGシミュレーションのシーンがワイドショーで取り上げられたりして、それなりに話題にはなったんですよ。
この仕事をして良かったと思うのは、仕事柄、その分野の専門家の話が聞けることです。それにしても、首都直下地震は本当にヤバイです。監修の教授曰く「本気で心配しているのだったら、東京なんかに住んでちゃいけない」そうです。今後30年以内に70パーセントの確率で発生すると言われています。判ったような判らないような数字です。
そんな話を聞くからなおさらなのですが、つくづく、秋田はいいところだと思いますね。壊滅的な地震が発生することはなさそうだし、仮に起こっても過密じゃないから逃げ場もあるだろうし、何より原発がないし・・・。強いて、懸念を挙げるならば、金正恩が自暴自棄になることでしょうか。

話は全然違うのですが、みなさん、「アルティメットと」いう競技をご存じですか?いわばフリスビーの円盤をボール代わりにしてやるアメリカンフットボールといった感じ。でも、原則、接触プレーは禁止なので、いたって安全なスポーツです。息子の部活を通して出会ったのですが、これがかなり面白いんです。ワールドゲームズ秋田の種目にもあったみたいですよ。
走力勝負のところがあって、まじでやると、その名の通り「究極」にきつい競技なのですが、むきにならなければ年相応に楽しむこともできます。息子は高校に進んでやめてしまいましたが(晩婚だったため、子どもがまだ高校生なんです)、私のほうが夢中で、土日で暇なときは、近所の公園で小中学生に声をかけては、草アルティメットを楽しんでおります。一度、チームを組んで関東ユースアルティメット選手権なる大会に出たら、なんと優勝してしまいました。競技人口が如何に少ないかお分かりになると思います。
今年の夏、U-20の世界大会がポーランドで開かれたのですが、日本チームのポイントゲッターは、なんと秋田大学アルティメット部の若者だったんですよ。秋田の子供たちにぜひ流行らせたいものです。

とりとめもない文章をダラダラとすみません。ここらで、次の方にバトンを渡します。特に、3年A組のみなさん、よろしく。

コメント欄

三浦和也 / 24 6月 2017 8:03pm 
3年A組の三浦和也です。1年はC組、2年もC組、最後に福来たる“別別共”です。2年同じクラスだったのですね。光栄です。
最初どこの大学・学部に進学するか?ですが、3A担任の池田先生から聞いたことがあります。先生は管野君の決めた進路に納得はしていなかったのだな、と感じました。
さて1年の冬、管野君作成のジャンプパー人形、実際に雪のスロープを滑らせて、踏切から全身前傾姿勢からテレマークを入れた着地までの巧妙にして精巧なジャンパー人形を楽しんだ時間が忘れられません。今野君もきっとそうだと思います。
「クリエイティブ」であることはあの時すでに決まっていたのですね。また会える日を楽しみにしております。

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