1I→2E→3Hで卒業した寺井です

ご無沙汰しております。
1I→2E→3Hで卒業した寺井です。
山王中学からの入学でしたが、親が転勤族で秋田とは縁もゆかりもありません。
現在、宮城県仙台市内に居を構え30年近くになりますが、多感な時期を秋田で過ごしたこともあり、今でも出身を聞かれると秋田と答えています。
リレーエッセイ、最近は有名女性陣や文才豊かな方が名を連ねており、高校時代勉強も含め全く目立たない存在であった私に、何故ご依頼があったのかは疑問です。
ただ、折角いただいたお話なので、思うところを少しだけ書いてみたいと思います。
山王中学ではブラスバンドに所属していましたが、中学校時代に燃え尽きたということでもないですが、高校に入学してからはわずかな期間でブラスバンド部をやめてしまい、易(えき)研究会というマイナーな同好会に籍はありましたが、本籍は帰宅部に所属しておりました。
ヤル気のない3年間と浪人生活、大学生活を経て医療用医薬品の製造販売会社に就職しました。現在は早期退職後転職した会社も退職し、悠悠自適の生活と言いたいところですが失業保険受給者です。以上が簡単ですが現在の私のプロフィールです。
今回リレーエッセイのご依頼を断らなかったのは、2011年(平成23年)3月11日に仙台におり、東北大震災の現状を皆さんにお伝えしたかったからです。
1983年(昭和58年)5月26日に秋田沖地震、1995年1月17日に阪神・淡路大震災と日本では大きな地震が定期的に発生しています。2001年3月24日の芸予地震 M6.7(広島、愛媛)のときは転勤で愛媛県松山市におり、家の箪笥が倒れ、当時の部下の奥様が骨折したという体験もしました。
前置きが長くなりましたが、東北大震災の時は仙台市内で車に乗っていました。
以下が東北大震災時に残していたメモ書きです。

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部下と得意先同行
現地での待ち合わせだったので、自分で運転し得意先へ向かう。
車のガソリンが少なく八木山のスタンドでガソリンを入れようかと考えたが、時間が迫っていたので後にすることにした。(この時ガソリンを入れなかったことは後々悔やむことになる)
部下との同行が終わり、14時30分過ぎに昼食をとった店を出る。
南町通り→西公園通り→広瀬通り→ガソリンスタンド→会社の予定
広瀬通の側道にて経験のないぐらい大きな揺れ(14:46)
しばらく激しい揺れが続き、ハンドルにしがみつく。
上から物が落ちてこないか上を確認したが、車の止まった場所が立町小学校の校庭横の為、建物が無く落下物の危険は無いと判断ししばらくその場で車を止め車内で待機。
側に道路工事の交通指示の人がいたが、立っていられなくなりしゃがみこむ。
長い揺れがある程度収まり、定禅寺通りにある会社に向かう。
会社では既に社員はほとんどが1階まで下りてきており、かなり大きな余震が継続的に続きビル倒壊の危険性を感じる。会社が入っているビルの向かいにある仙台メディアテークビルも6階7階あたりのガラスが内側にかなり割れてくずれていた。その後、ビル倒壊の危険を感じ、定禅寺通りの中央分離帯に移動。
会社に物を取りに行きたいという人が多く、1時間ほど様子を見たのち、貴重品を置いている人のみ階段で9階まで登る。
社内は惨憺たる状況で、本棚が机に倒れ掛かかり、その重みで机が床にめり込んでいた。
余震が続く中屋外に退出、外は雪が舞いかなり寒い。
部下やそれぞれの家族の安否確認を携帯メールで行うがなかなか通じない。
かなりの時間を要したが家族も含め全員の安全が確認でき、とりあえず胸をなでおろす。
社員全員帰宅することになったが、結果として2時間以上かけて歩いて帰った人、車で大渋滞にまきこまれ2時間以上かけて帰宅した人等いたが、全員家に帰れたのは良かった。
歩いて帰った人は寒さで震え、車の人は渋滞でガス欠におびえての帰路だった
私自身も普段は車で15分ぐらいのところを、入れられなかったガソリンを悔やみつつ、ようやく家に着いたのは会社を出てから2時間半後の19時半過ぎ。
車のラジオで津波の被害を知ったが、これ程までの惨状とは考えなく、実態を知ったのは電気が通りテレビを見られるようになってから。
家は、食器棚の割れた食器が散乱し、中学生の末娘が一人家の中で寂しさと恐怖で震えていた。
我が家は地盤が良かったのでそんなに損傷はなかったが、液状化現象等で家が倒壊した地区も多数。ただ、地震そのものでの死傷者はほとんどいなく、犠牲者のほとんどが津波によるものと知ったのもかなり後になってからだった。
キャンプ用のバーナーでカップ麺を作ろうとお湯をわかしかけていたが、カセットコンロがあるということで、そちらで夕食を作り始めた。
電気は通っていなくラジオはランプ付きのラジオで受診(後に電池が枯渇)
夜は家族の誕生日に使った蝋燭の光での明かり。
電気が通じていない冷蔵庫の食品を先に処理したが、冷凍食品等も多数あった為、当初は食糧の心配はなかった。もちろん電気はもとより、ガスもストップ。私の居住区は最初水が出ていたが、途中から断水となり給水所に水をもらいに行く。車のガソリンが残り少なく、歩いて鍋等で水を運ぶのは相当つらい労働。
最初水が出ていたので風呂桶一杯に水をためたが、トイレ等であっという間に枯渇。
ポリバケツ等あらゆるものに雨水を貯めるようにする。
石油ストーブや豆炭炬燵も活躍。灯油の備蓄があったことが幸いしたが、オール電化やガスでの暖房の家は寒さでかなり大変だったとのこと。
ガソリンが無くなるとは想像すらしていなかったため、携帯の充電を車で行った人が多くみるみるガソリンが無くなり、車が使えなくなった。
電池の買い置きが無かったことも後悔の一つ。
バスは間引き運転で常に満員、乗れなく1時間以上次のバスを待ったことが何回あったか。
日が経つにつれて食糧不安大きくなり、コンビニは開店休業、スーパーでの食糧品販売で購入できるのは並んでもわずか。市内中心部にある市場は幾分在庫があったが、多くの人で行列し購入するのも時間と労力を要する。
国分町や一番町で高額な値段を取り昼食等を提供している店があり、仕方がないと思うがやりきれない。
(このような店は震災後かなり客足が遠のきつぶれた店が多い)
ガソリンは10リットルを入れるのに夜中から並ばなければならないので諦める。
会社の部下であった独身女性は茨城県の親許に戻りたいとのことで、山形→新潟→東京経由で二日がかりでようやくたどり着いたとのこと。
これ以外には避難所生活(学校の体育館等)をした人はプライベートが無く、精神的にかなりまいったとのこと。マンションの高層階に住んでいる人は停電でエレベーターが止まり水も無いことから避難所生活を余儀なくされた人も多かった。近所の人から食糧販売やその他有意義な情報を得て助かった人が多く、平素の付き合いの重要性を痛感したという意見もあった。
震災以後はガソリンが半分になった時点で、給油する人が増えた。
以上が当時のメモ書きでの残っていました(一部改編)
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電気・ガス・水道すべてが無く、続く余震に脅えた日は何日になるでしょうか。
我が家はある程度の食糧や水、防災グッズがありましたが、あっという間に底をついてしまいました。
また、津波での被災地区は当初はこの世のものとは思えない状況で、あまりの惨状に救援の自衛隊員で鬱病を罹患した方が多くいたと聞きました。
東北大震災では、いまだ行方不明者、仮設住宅に暮らす人も多く、福島原発も何ら解決していません。
還暦を過ぎ震災当時の記憶も薄れてきていますが、当時は必死だったと思います。
その後熊本大地震、火山の噴火等天災は定期的に襲ってきています。
備えあれば患いなしと言いますが、最近はミサイルの恐怖や人による暴力なども加わり何を備えて良いかと思ってしまいます。
余談ですが、サリン事件発生の朝、数本前の同じ路線の電車に乗っていたことを思い出しました。

同窓会名簿には50年卒で既に亡くなられた人が十数名も記載されています。
人生80年とすると、高校時代まででほぼ1/4、還暦までで3/4。
後悔も多く、感謝も数限りなくありますが、ここまで幸いにも時を刻んでこられました。
我々の世代で集まると最近の話題の中心は自分の服用している薬や介護の話題になることが多いようです。
これからの人生、あと20年しかないのか20年もあるのか?
現在、私は内館牧子の「終わった人」状況ですが、残りの人生有意義な時を刻めるよう、最後に自分は幸せであったと周囲に感謝をして終末期を迎えられるよう、これからも前向きにいろいろなことに挑戦したいと思います。
一陽来復。
皆様の健康と幸福を祈念するとともに、再度ご自宅の防災体制(家族との連絡や集合場所等も含む)を確認することを提案させていただき、私のつたないリレー随想を終わります。

コメント欄

榎 昌範 / 24 5月 2018 11:56pm 
あの地震は凄まじいものでしたね。私は約2か月後に山田町の友人のところに行きましたが、津波の恐ろしさに身震いしました。

中村順子 / 29 5月 2018 8:32am 
私はちょうど日赤の大学におりましたので、救護隊に入れて頂いて発災後10日くらいで陸前高田に入りました。あの時の光景、人々の姿、全て忘れることはできません。しばらくは通って高齢者、障がい、母子保健、精神など垣根を超えたケア体制づくり(今でいうなら包括ケアですが)のお手伝いをさせていただきました。
今はすっかり足が遠のいてしまっており、気に掛け続けるくらいのことしかできていませんが・・・。

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