3Aの大塚(坂本)志津子です

このリレーエッセイの依頼をいただいたのは、義母の葬儀が済んでまもなくの頃でした。梅の花が盛りを過ぎて、でもまだ寒さが残っていた頃だと思います。昨年の夏に還暦の同窓会があり、懐かしい皆さまにお会いしました。前回2005年の同窓会に出席した時も義父を送って、これからどうしようかなとぼんやり考えていた時でした。友人が声をかけてくれて本当に久しぶりに秋田に行き、卒業してずいぶん年月がたったことを実感しました。千秋公園の樹々も30年たつとあんなに幹が太く、梢も高くなるんだと妙に感心したことを覚えています。今回も身近な人を送り一息ついたタイミングで秋田から便りが来たことがちょっと不思議でした。

秋高を卒業して大学に進学し、東京で外資系会社に3年ほど勤めた後は専業主婦でずっとやってきました。子供も手を離れ、このまま少しずつ年齢を重ねていくのだろうと思っていました。子供の成長に合わせてアルバイトで塾の講師をしたり、自宅で細々と中高生に英語を教えたりして過ごしていましたが、義父が認知症を患ってから生活が一変しました。

当時はまだ介護保険の制度ができたばかりで、どういう仕組みを使ってどう介護したらいいのか手探りの状態でした。仕組みが理解できたころには事態はもう別の展開になっているということの連続でした。そんな中で印象に残ったのは、高井戸にある浴風会病院のケースワーカーの方が丁寧に話を聞いて下さり、私や義母に対応の仕方や必要な情報を提示してくれたことでした。その時は余裕がありませんでしたが、これからは制度と制度の隙間を埋めるこのような人の力が絶対必要になる、機会があったらこういう仕事ができたらいいなと漠然と考えたりしていました。そうはいっても、それから色々なことがあり、思いがけないことの連続でした。数年後義父が亡くなり、前述のように友人が「サッカ、同窓会あるよ」と声をかけてくれて、初めての新幹線で帰秋しました。30年ぶりに懐かしい方々にお会いして言葉を交わし、当然と言えば当然のことですが、東京でも秋田でも同窓の方々が自身の健康、仕事、子育て、親の介護など様々なことを抱えて懸命に生きているということが実感でき、勇気づけられたような気がしました。

東京に戻って、私は進学の準備を始めました。漠然と興味があった社会学にしようか心理学にしようか迷いましたが、論じているより現場に出た方がいいと思い、心理学を専攻することにしました。大学院で若い学生たちに助けられながら統計やらパワポと格闘し、臨床心理学の論文を書き、臨床心理士試験に合格したのは4年前です。現在は多摩地区の精神保健福祉センターで思春期・青年期の相談業務や広報紙作成の仕事をしています。また、修了した大学の心理臨床センターでも勤務をしています。にぎやかな若い院生たちに囲まれてパワーを貰いつつ過ごしています。還暦を迎え退職する人も多い中、無謀にも今頃になって忙しく働く毎日です。

私が担当している思春期・青年期相談はほとんどが不登校からひきこもりになってしまったケースです。一人一人背景が様々で一概にはいえませんが、私たちの頃に比べて子ども世代が親世代を超えていくのが難しくなったことも影響しているように思えてなりません。子供たちがひ弱になったわけではなく(私たちも十分にひ弱でした)、社会の変化によるところが大きいと思います。今、高校卒業すれば正社員になれる社会だったら、こんなにひきこもりは増えていないのではと思います。親世代も社会状況への不安が大きいために、必要以上に子どもが心配で先回りしてしまうのかもしれません。若者支援・就労支援の制度も少しずつ整備されてきましたが、制度と本人のニーズの食い違いもあり、なかなかスムーズに進まないことも多いです。親御さんの面接から始めて本人が来所し、本人自らアルバイトなどに動き始めたり、支援機関につながったりする姿を見るとスタッフ一同ホッとします。必要に応じて医療機関や保健所につないだりするケースもあり、その見極めが難しいと感じています。まだまだやるべきこと、学ぶべきことが多いと痛感させられます。余談ですが、たまに併設の体育館で思春期の当事者メンバーとソフトバレーボールやバトミントンをすることがあります。ひきこもりがちでも若い子たちは案外柔軟に動けるのです。それに引き換えスタッフは足がつったり、筋肉痛になったりと情けない有様です。私も捻挫、骨折に気を付けてほどほどに参加しようと思います。

私が秋田で過ごしたのは中学の途中から高校までのほぼ5年間です。大学に進学してからは夏休みやお正月に帰省する程度でしたので、実は秋田のことはあまり知らないのです。知り合った人に秋田のことを聞かれても、答えられないことも多いです。それでも思春期を過ごした秋田は、私にとってやはり忘れられない、かけがえのない故郷です。今でも夕日が差し込む秋高の校舎が懐かしく思い出されます。バレー部の部活終わりに廊下を通ると放送室から有明くんが出てくるような…3Aの教室で郁子さんたちとしゃべっていると小仲君が立っているような…笑顔の池田先生がドアを開けて入ってくるような… つい想像してしまいます。一足先に空の上から私たちを見ている人たちのことを時々思い返しながら、自分にできることを一つ一つやっていけたらと思います。空の上の同窓会、どんなものでしょうか。いつか会える日がきたら、心に溜めておいたこんなこと、あんなことを伝えて、またおしゃべりしたいものです。それまでいましばらく頑張ってみようかなと思います。

皆さまもどうぞお元気で。空はつながっています。

3A 大塚(坂本)志津子

写真は「還暦同窓会の帰りに新幹線から見た空」

「小石川植物園『ニュートンのリンゴの木』の花」(ニュートンの実家のリンゴの木の接ぎ木だそうです)

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