3H 工藤弘史です

リレーエッセイを頼まれて、卒業アルバムを眺めながら、何を書こうか、他の人は何を書いているのか等考えていくと、もしかしたら教師生活の総括をしなくてはならないような気がして、「これは無理だ」と思いました(遅くなった弁解!)。なので、近況報告です。

神奈川県立高校で数学(兼情報)教師として定年まで7校、その後再任用として2年間勤め、63歳で退職しました。教職を離れた今では、学校現場のことは思い出になりつつあります。しかし、卒業生達は横浜に散らばっていますから、どこかで会う可能性があります。駅中や街角で会釈されることもあり、時には戸惑います。先日も娘から、「転勤先の上司がお父さんの生徒だったらしい」と聞かされ驚きました(顧問をしていたブラバンの部長でした)。

定年直後の4月から1年間は、勝手に「リフレッシュ期間」として毎月旅行していました。学級担任をしていると、修学旅行の引率で彼方此方行きますが、どの学校でも北海道・近畿・沖縄が多く、行ったことのない県も結構あります。その為これまで宿泊したことの無い県を廻ろうと、計12回の旅行で20の県に行くことが出来ました。添付の写真は、佐渡のたらい舟の写真です。再任用を辞した2020年以降も、旅行を再開するつもりだったのですが、コロナでダメになってしましました。残り6県(岐阜・静岡・愛知・滋賀・大分・宮崎)は、ゆっくり計画を立てて、2年に1回でも行くことが出来たらと思っています。旅行は、計画段階がいちばん楽しいですね。来年くらいにはコロナが治まってほしい。

今は年金生活者として、気ままに生きています。これからも続けようと思っているのは、
●ボケないように頭を使う。ソリティアや数独のデイリーチャレンジを毎日解き、放送大学の聴講生として情報関係を勉強してます(通信プロトコルと法律が難しい)。体も使わなくちゃ・・・と思うのだが、運動は苦手
●積ん読状態の本を読み、DVDを見る。中学生時代から続いているペリー・ローダンシリーズ(現在まで673巻発行で今後も続刊)を読み直していのですが、まだ65巻までしか進んでおらず、死ぬまでに読み終えることができるかどうか不明。
●教員生活のまとめとして、資料の整理をする。孫の為に授業プリントをまとめようとも思っていますが、これもはかどっていません。「やらなければならない」仕事ではなく、「いつやってもいい」ことには集中できないようです。他の方のリレーエッセイを読むと、皆さん活動的でとてもお若く感じられ、自分が恥ずかしくなってしまいます。活動的になるためには、成長著しい腹をなんとかしないと・・・。

両親はすでに鬼籍に入り、秋田にいるのは弟夫婦だけなので、秋田に行くのは命日だけになってしまいました。同期会には一度も出ていません(すみません)。でも死ぬ前にもう一度竿灯を見たいと思っております。

すでにボケてきたのか、秋高での生活があまり思い出せません。google mapで登校路を辿ってみましたが、秋田駅付近は大きく変わっており、自分がどの道を通っていたのか分からず仕舞いでした。しかし、懐かしい秋田大学前の道と、秋高の上り坂は昔と変わらずにありました。校舎は立派に建て替えたようですね。
秋高のことで思い出せるのは、
●ブラバンで甲子園の応援に行き、「かち割り」を食べたこと。勝敗は1-0で大阪北陽の勝ちでした。
●1年の体育祭で、相手側の旗を触ってしまい、団長が出てくる大問題になったらしい。
●文化祭最終日にクラス展示を窓から放り出したこと。展示内容の理屈はわかりませんでしたが、爽快でした。今もクラス展示やっているんでしょうか?ぜひ続けてほしいと思います。
●数学演習の井上先生は、生徒に黒板で問題を解くよう指示して、椅子で瞑想されていました。
●就職して1年目に県外研修の機会があり、教師になりましたと秋高へ挨拶がてら学校訪問したら、教頭になっていた一ノ関先生に「なんて無駄なことをする」と怒られました。
●かなり昔、久木君から電話がかかってきたのは、精神的に参っているときで、十二指腸潰瘍入院の直前でした。大変失礼な対応をしたように思います。申し訳ありませんでした。神奈川県教育センターで宮田君と会ったときは、最初誰か分からず失礼しました。ちょうど指導主事と打合せ中で、その後で話も出来ませんでした。申し訳ありません。また、塚田善也君と佐藤一吉君には、大学時代大変お世話になりました。ありがとうございます。

最期に3Cの島貫文也君について。彼は横浜国大卒業後、国税庁に入庁。横浜で会った頃は、夢の遊眠社のチケットを何度か貰ったこともありました。その後突然の訃報。天国でホルンでも吹いているでしょう。(合掌)

幹事の皆様方、大変でしょうが、これからも同期会続けてください。
皆様、元気で長生きしてください。

2022年9月23日

コメント欄

佐々木章 / 26 9月 2022 8:53pm 
工藤君、リレーエッセイの執筆ありがとうございました。
ブラバンつながりで我々が2年時の甲子園応援の話題がありましたが、試合自体は0対1でナイスゲームだったのにも拘わらず、翌日の地元新聞には「北陽、秋田を血祭りにあげる!」という大見出しでしたね!(笑)
ちなみに、秋高吹奏楽部OB会のホームページには定期演奏会のプログラムが掲載されていて、
しっかりと工藤君の名前もユーフォニュームで、私はトロンボーンで掲載されておりますので、ご覧下さい。

http://brass.akitahs-doso.jp/

島礼 / 8 10月 2022 9:35am 
工藤君、楽しく読みました。高校の先生でブラバンの顧問って楽しかったでょうね。これを見て僕も秋高でもクラリネット続けていたらよかったなあ、とちょっと思いました。
島貫君の事思い出させてくれてありがとう。
ユーフォニウムの工藤君懐かしいなあ、同期会で会おう!

工藤弘史 / 13 10月 2022 5:47pm 
佐々木君、コメントありがとうございます。
秋高吹奏楽部OB会のホームページがあるんですね。途中退部でしたが、しっかりブックマークさせていただきました。佐藤先輩の名前も思い出すことが出来ました。情報ありがとうございます。

工藤弘史 / 1 12月 2022 9:04am 
島君 お久しぶりです。コメントありがとう。
島貫君については、突然の訃報に困惑した記憶があります。後日実家に伺っても詳しいことはわかりませんでした。
私の両親は、島君の実家に昔お世話になったようですし、弟も辻君の会社にお世話になったようです。横浜の人間になったつもりでも、秋田とのつながりはまだまだ深くありまし、懐かしさもあります。
秋田へも行きたいのですが、情けないことに、最近腰痛でうまく歩けなくなってきました。皆様もご注意を。

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