Fクラス(近藤先生)OBの榊 勉です。

栄光の秋高・昭和50年春卒業の同窓の皆様、Fクラス(近藤先生)OBの榊 勉です。

大変にご無沙汰しております。東京さ登って41年が経ちますが、両親が亡くなってからは、秋田には帰省しなくなり、代わりに、家内の母親が高齢でおりますので、実家の兵庫県豊岡市の方に帰省しています。

皆様はお元気でしょうか?私は親知らずの手術で入院した以外は、大きな病気も無く元気に過ごしております。(親知らずは怖いですよ)

さて、この度のリレーエッセイに無理やり参加すべしとの使命をいただき、何を書いて良いやら迷いましたが、本年10月の還暦を迎えるにあたり、60年間で一番苦しかったこと、一番楽しかったことを振り返ってみたいと思いました次第です。ご一読下されば、幸甚に思います。

60年間で一番苦しかった事、それは、大学5年目でした。現役合格までは良かったが、順調だったのはそこまで。我儘いっぱいで育った影響で、一人住まいを始めた途端に、オオカミ少年になってしまい、出席点が足りず、定期試験も結果が悪く留年。要するに親離れしてなかったのですね。電話で母親にも泣かれる親不孝状態。単位が取れていなかったので、5年生の時は授業もフルに入れて、4年分勉強しました。この時の苦しさは、卒業してからも何回も夢に出てきたほどです。浪人された方も、恐らく同じような状況だったのでしょうね。

一方、一番楽しかった事は、子ども達に恵まれ、育成できたことです。長女(29歳)次女(26歳)三女(24歳)長男(21歳)の4人。ほんとはもっと欲しかったのですが、流産1回+帝王切開4回でドクターストップ。病院で、懐妊の診断が下った直後の、何とも言えない幸福な気持ちは忘れないでしょう。家内はずっと専業主婦でしたが、3人は大学に行かせることが出来ました。東京に住んだ理由の一つに、子ども達の進学の選択肢の多さがありました。通学可能な都立高校は100校以上あります。私立はもっと多くあります。全員が都立高校に進み、長女はDocomoショップの店員、次女は小学校の教員として働いています。まだ就職していませんが、三女は中学校の社会科の教員、長男は高校の数学の教員を目指しています。現在、6人家族で暮らしています。狭い我が家でも楽しい生活。しかし狭いのは今のうちだけです。いずれ、一人二人と独立して、夫婦二人になって、だだっ広い我が家になるのでしょう。

拙い文章で失礼しました。生涯青春の気概で、100歳目指して頑張りましょう!

写真は、長女に結婚30周年のお祝いをいただき、福島県いわき市のスパリゾート・ハワイアンズに宿泊した時の記念で、服を着てるのが家内です。

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