3年間J組で過ごした川村満です

エッセイ書初め。東京に行って長い間ご無沙汰だったが、この歳になって人恋しいのか、同期の秋田人に会えるのが何故か嬉しく、10年程前から同期会に出始め、還暦会も良かった。その後コロナで中止が続いたが、昨年再開した会(会の後、高熱で苦労したが)に続き今年も6月の同期会に出た。その折、幹事から「エッセイ依頼行ってますよね。」、昨年早々に受領したお願い文を隅の方へ追いやっていた事を自戒し「はい、書きます。」、ついでに「幹事もどうか」と押され、勢いでこれも「はい。」と。
と言っても何を書いていいものやら。まずは月並みにこれまでの事から。

1975年高校卒業と同時に東京で大学に行った。卒業後、東京の建築設計事務所に就職し、その会社の中での異動は有ったが、同じ会社で人生を過ごした。そういう方々も多いと思うが、秋田で過ごした時間より東京で過ごした時間の方がはるかに長い。が、2022年末42年間過ごした会社を卒業し秋田に戻った。
       
秋田では、気楽な無職の年金生活。のんびりと、毎日が日曜日の中で、雑多な用事をこなしたり、終活などを考えたりして過ごしている。
毎朝目覚しで早起きして、鞄を持って出掛けるという事は無いし、日頃はスーツやかしこまったよそ行きの服も要らない。かなり忙しかったこれまでの東京の生活と比べ、ゆっくりしたリズムで、気持ちもゆったりするし、自由で良い。ただ、今の所「ボケていない」と自分は信じているが、ボケと運動不足は心配が無い訳ではないので、何かくだらない目的を作って作業したり、太陽の下を“わざわざ”歩いたりしている。“世捨て人”風にならぬ様、たまには周りに気も使ったりして。
ところが周りの同期を見回すと、意外と皆さん仕事をしている。「60代後半はのんびりしよう」と何となく思っていた“ものぐさ”な自分としては、「みんな凄いなあ、偉いなあ、根性有るなあ」と思う。でもまあ人それぞれの人生だろうし、自分は「ここらでよかんべ」と勝手を決める。

秋田に戻ったのは、近々の約10年、家の管理とコロナに後押しされたリモートワーク普及などで、秋田に居る事が多くなり、「ゆっくりと住むなら秋田は良い」と感じた事と、同時期に「仕事もう休んでいいかな」とも思えたからだと思う。
自分が育ち、頭と体の基礎が形成された高校時代まで過ごした所。その時代を共にした友達。父母の足跡を感じる所。そこに戻って来ると、やはり心が落ち着く所(そうは言っても秋田らしい面倒な事なども有るが、それはそれ)。あと何年生きるか知らないけれど、それほど長い訳も無く、それまでこの環境の中で楽しく生きて、そのうち元気にころりと静かに死ねれば。
家の前の川には、カモが遊び、冬は時々白鳥が遊びに来る。夏はせみが鳴き、蝶や黒トンボが飛んで、秋に向けて赤トンボが飛んで来る。自然に近かった素直な子供(ほんまかいな!そう単純ではないが。)の頃を思い出し、何か楽しくなる。
その上、今までかなりご無沙汰していたにも関わらず、新参者に暖かく付き合ってくれ、酒も一緒に飲んでくれる旧友達の存在が何とも有難く、生きる甲斐ができると言っても過言ではない。皆さんに多謝多謝。

「東京ってどうだったんだ?」が秋田で暇な中で頭に浮かぶ事の一つ目。
さすがに大東京、若いうちは昼も夜中も楽しい事はたくさん有るし、美味しいものも有る。変化は早く激しく(変化について行けなくなっただけなのかも)、若いうちはそれも良いだろう。仕事も有るし、仕事に関わる組織などの中枢にも近い。その分、忙しく、上手くすればお金も入って来易いが、上手く行かなくても出は多い(個人の感想です)。
人口過密、高密度地域の広さは限度を超えていて、ねずみなら共食いが始まるレベルなのではないか(個人の感想です)。電車などの過密状態は相変わらずで、自分は或る時期から混んだ電車には乗れない様になり、極端に早朝か人の少ない時間に乗り、できれば歩くなどしていた。
東京は働く、良く言えば都会的に遊ぶ、金を儲けるには良い所。が、心豊かにゆったり静かに住むにはどうか?と私は思う(個人の感想です)。自分が東京に行った1975年頃(もう半世紀前か!)、渋谷公園通りだって、ちょっとホテルと喫茶店が有るくらいの素朴な街で、それくらいだったらまだ良かったのに。最近の渋谷再開発、駅からの出方が判らず、外に出たらどこだか判らず迷子になってしまったし(年寄りのたわごとか?単について行けなくなっただけなのか?)。

「自分の仕事ってどうだったんだ?」が二つ目。
先に書いた通り、仕事は建築の設計、と言ってもそのうちの構造(柱、梁など骨組み、倒れない安全性とか)の分野をずっとやってきた。
最初の実建物の設計は、下働きだったが今も建っている超高層建物。その後、自分が構造設計の責任者になり、様々な建物を設計し、建設を見守った。日本は地震国なので、地震に遭っても倒れない耐震構造、最近一般的にも知られている免震構造、制振構造などの建物も設計し、幾つか建っている。
自分達が考えて設計した大きな建造物が建つ、人々が見る、使う、集まる、そしてその物が存在し、残る、と言うのは、やはり率直に嬉しい。そのためにこの仕事を選んだのかもしれないとも思う。また、自分の手掛けた建物で、幸い大きな問題は起きていないし、それなりに皆さんに喜んで貰っていると思うし、まあまあイケてる物も有るんじゃないかとも思っている。
しかし、世の中の発展の印だったり、建てさせる人達と実際に建てる仕事をする我々の様な人達の満足感が先に立ったりして、みんなに好かれない建物になってしまえば、「バベルの塔」になりかねない訳で、建っている建物が今後ともそうならない様願っている。
因みに自分は超高層住宅にはあまり住みたいと思っていない。住んでいる方、ごめんなさい。

「海外のこと」が三つ目。
最初に書いた通り同じ会社で過ごしたが、その中で、時代の流れや、自分の興味が重なり、国内の仕事に加え海外の仕事をかなりした。仕事絡みでいろいろな国、都市に行った。
80年代、主に中国、東南アジアの仕事が多く、90年代前半、ハワイに米国の事務所と共同設計のため滞在、その後香港に駐在。90年代後半から、中国、東南アジア、島嶼国、アフリカ、中東などの仕事。2010年頃から直接担当は外れたが、お手伝いや取り纏めなどで引続き海外に関わった。
ハワイに行ったのは、ロックフェラーセンターを1989年M地所が買った2年後。大きな開発計画だったし、本人は「この際移住して、建物管理者で生きて行っても良いなあ。」と思ったりした。が、バブル崩壊と共に計画は無くなり、様子を見に来た社長が「君、何してるの?もうこの仕事終わったから帰っていいよ。」とのことで、敢え無く帰国した。世の中、楽じゃない。
中国は不思議な事、「そんな!」という事など多々有るが、書き出すと長くなるので少しだけ。一つ、この国の多くの建築は狭い日本に住む我々からすると、桁外れに大き過ぎで「これどうやって使うのか?」と心配になる。が、彼の地の人達は慣れているのか、それなりに過ごしているらしい。中東も同様だ。これは、国の広さや力を誇示しているのか?やはり怖い。「仕事を始めた頃の中国は、援助対象国だったのに、今は・・」である。
香港に居たのは返還前だった。さほど深く探索した訳ではないが、表も裏も有って面白い街だった。その後、特に最近の香港の状況を見聞きすると、何か悲しいし、あの頃付き合いの有った人達はどうしているのだろうと心配にもなる。
自分の仕事に後悔はしていないが、悩む事も有る。昔、中国蘇州(だったと思う)の工業団地開発計画で敷地を見に行った。見渡す限り美しい緑の田んぼが広がり、その中に点々と懐かしい感じの農家が建っている。「ここが敷地?」と聞くと、「そうだ。」と答え。一帯をブルドーザで潰して工業団地にするとの事だった。この国は、政府がやると言えば力と人海戦術で凄い速さでやる。工業化で皆の生活が良くなると言うが、「それは本当に豊かになる事なのか?この田園風景の方が豊かなんじゃないか?僕らはその開発に使われるのか。」とちょっと悲しくなったのを覚えている。自分の国でもないし、何もできないのだが。
それでも、国が違うと苦労も有るが、他国の人達と話し仕事することは楽しく、いろいろ興味深いこと、考えさせられることも有る。自分の糧になったはずと思う。

「怖い話」も最近頭に浮かぶ。
自分は原子力反対である(少なくとも今のままでは)。恐ろしい人災が何度も起きているのに、人間が処理、制御できないものが増殖しているのは、怖い。
更に、今で言うAI(人工知能)はもっと怖い。
電卓から始まり、大学の頃、プログラムを組み、パンチカードなんて物を使って大型コンピュータで計算。その後パソコンなどという代物が出て、どんどん小さく高性能のコンピュータが氾濫してきた。しかしこの辺までは、それらがプログラム内で種々の判断はするにしても、基本的に便利な道具の範疇で良かった。
この頃人工頭脳(正確な定義は不明)なんてものが有った気がするが、最近はAI(人工知能)などと呼ばれ、ますます進化し勝手にいろいろな事をするらしい。自分でネットワークから情報を得たり、偽画像を作ったり、自分でプログラム作成したり、バグ修正したり、判断したり。同時に、有線電話から携帯電話、スマートフォン、それ等を超える情報通信とネットワークの進化。これらが合体して良い事から戦争までするロボットの進化。
この結果、確かに便利な世界になり、夢だと思っていた鉄腕アトムや鉄人28号などのSFの世界が実現し、SF映画のシーンがその通りになっている。しかし、アトムなら良いが、そうではない怖いSFの世界に向かっているとしたらどうだろう。どこかのSF映画や小説に有る様な、個人の処理能力を超える情報量を良い事に、国などのシステムにAIが取り入って、ネットワークと融合し人間の監視、ついでにロボットと協同して管理、反抗する者は粛清、なんて事が直ぐそこ。もう始まっているかも。そのうちAI同志が徒党を組んで、全てを乗っ取り、最後は地球環境保護の最悪の敵である人間を抹殺。
恐ろしい話だが、SF話の現実化を考えると直ぐに起こりそうで、まじめに怖い。かと言って、自分だけ全てを絶って自給自足も難しいし、秋田県→藩で鎖国しよう!

これでこのエッセイは完。やっと終わったので、今日は豊かで質素な秋田のつまみで一杯やろうと思う。
世界または人類が無くなっていなければ、皆さん、来年古稀祝いで会いましょう。

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