3年B組の児玉潤(めぐむ)です

高校時代は全く勉強もせず、落ちこぼれの私がリレーエッセイでもないと思いましたが、土崎中学校時代からの友人である佐々木章君の依頼を断るのも悪いかなと思い引き受けました。

さて高校を卒業はしましたが(卒業させてもらったが本当のところ)、当然のごとく大学に受かるはずもなく、卒業後秋田の予備校に籍を置いていましたが、はなから大学進学は諦めていました。

まもなく当時の国鉄土崎工場に貨物列車の車輪周りの解体作業をする臨時雇用員として半年程働きました。当時のその職場では相当に粉塵を吸ったはずで仕事が終わると鼻の中が真っ黒になったのを覚えています。その雇用期間にたまたま当時の電電公社の試験を受けたところ運よく合格し、高校卒業年の次の年の1月1日付けで男鹿電報電話局に採用されました。

男鹿電報電話局には17年程(転勤を断わり続け)、その後仙台で約2年間単身赴任生活をした後秋田に戻り、60歳以降は契約社員として働き、65歳でNTT東日本‐東北秋田支店(NTTグループ会社)を定年退職しました。

勤続46年でした。ほとんどが現場部門にいて、電話の故障修理や電話工事、現場調査など電柱昇りや建柱作業等をやってきて、デスク作業は10年位でした。転勤の経験も少なく、仕事的にはどちらかといえば順風満帆に過ごしてきたと思っています。

けれども人生はいつも平穏無事なことばかりではありません。息子2人とも小学校高学年から中学校3年間はほぼ不登校で、どうにか2人とも単位制高校には行くことができ、時間はかかりましたが大学にも行き、長男は東京で市役所勤務、次男は地元で結婚して看護師として働き家庭を持って生活しています。

結果的には紆余曲折はありましたが、子供が自立して生活することができているので親の最低限の責任は果たしたかなと思っています。

また14年程前には30年近く連れ添った妻が死亡し、その後立て続けに両親の死と1年半の間に身内3人の死を看取りました。この時はまだ次男がプータロ的な生活をしていたもので結構こたえました。

なお亡き妻との24歳での私の結婚式の仲人は3年B組の担任だった谷村長男先生ご夫妻にしていただきました。きっと出来の悪い教え子からの頼みだと思い、引き受けてくださったと思います。そして谷村先生がその後仲人をなさったかは確認していませんが、その時が初めての仲人だったと記憶しています。恩師とはありがたいものです。高校時代に成績が悪すぎ呼び出された時、先生から言われた言葉をまだ覚えています。それは「玉磨かざれば光なし」という言葉です。結局先生の教えを守らず、現在までたいして磨くことなく生きてきましたが、警察に捕まるような悪いこともしなかったので先生も許してくれるかな。

さて妻亡き翌年に、突然網膜剥離になり入院手術を数回繰り返した時、入院先の病院の眼科にいた現在の妻(たまたま短期間だけ彼女が眼科に在籍していた)と知り合い再婚して10年が経ちました。その当時は何回も入院、手術をしても誰一人病院に家族が来ないので不思議に思っていたとのことでした。

家に近い病院の選択(大学病院も選択肢にあったが)から入院のタイミングを含め、偶然が重なった結果で不思議な感じがしたものです。就職にしても人との出会いにしても、人生はタイミングやほんの偶然が重なりあって大きく変わるものかと思いました。

現在の夫婦での主たる楽しみはハイエースベースのキャンピングカーでの車中泊旅行や2人での晩酌です。当初は普通車(車がずっと好きでオープンカーにも2台乗り北海道旅行にも使ったし、今でもホンダS2000は手放して悔やんでます)で旅行していて、少し長い旅行だと最初の2~3日は旅館でのご馳走に喜んでいましたが、それが続くとご馳走が逆に負担になりこのような旅行は嫌だなと思うようになりました。また北海道にいる従兄弟がキャンピングカーを持っていて車中泊に連れて行ってもらったこともあり、それもキャンピングカーを購入する大きなきっかけになりました。それでも数年間は本当に車中泊旅行など興味を失わずに続けていけるかどうかと多いに購入を悩みましたが結果的には良かったのでしょう。7年以上も車中泊旅行が続いているのですから。

今年は今までで一番長い期間8月末から10月初旬までおよそ1か月半の間、北海道車中泊旅行をしてきました。宗谷の快適なキャンプ場に20日ほど滞在し、パークゴルフや読書(最近は沢木耕太郎)等しながらテントも設置してキャンプ生活をしてきました。その間に久しぶりに利尻島や礼文島にも足を延ばしたり、顔なじみの夫婦が営む宗谷岬近くのペンションに泊まって再会を喜びあいました。またある程度長く同じキャンプ場を利用していると、遠方から来ているテントサイトの近い人達と仲良くなり、一緒に遊んだり料理をご馳走になったりと交流も深まります。地元に帰った後も連絡を取り合う間柄になったりして楽しいものです。70歳代や80歳代のご夫婦も結構いて、中には2~3か月も北海道に滞在している方もいます。キャンプ生活、料理、パークゴルフ、釣り、読書、ギターそしてそば打ちや陶芸を習いに行ったりといろいろと皆さん楽しんでいます。人との関わりが面白く、また来年もここで会えたらいいね、と言って別れ帰ってきました。

このように退職して1年半、自由に過ごしてきましたが(車中泊旅行、パークゴルフ、ボーリングクラブ、フロアーカーリング、自転車、ラジオ英会話、家事等をやって)、北海道旅行から帰ってすぐの10月中旬から再就職しました。仕事の内容は、ある会館の建物や会場作り等全般の管理や設営業務です。出勤時間が早かったり帰りが遅かったり、休日が現役時より少なかったりと大変な面もありますが、気持ちに適度な緊張感もあり良かったのかなと思っています。

実は旅行に行く前に突然に知り合いから電話があり、欠員が出たのでどうかとの仕事の誘いがありました。現在の自由の身に少しは未練もあり又長期の旅行も当面無理だと思いますが、妻も働いているし自分もまだまだ元気なのでもう3年位は働いてみようかなと決心しました。

たた遊びや趣味そして仕事にしろ健康があってこそ出来るものです。皆さんも健康に留意され、それぞれいろいろな環境や制約があるかもしれませんがこれからの残された人生をできる限り大いに楽しみたいものですね。

さて再就職先の同僚(偶然にも土崎中学校の同窓生)が私と同じく酒好きで、彼にウイスキーのうんちくをよく聞かされます。例えば「WHISKY」と「WHISKEY」の綴りの違い、前者はスコッチウイスキーや日本のウイスキーのラベル表記に多く、後者はアイリッシュウイスキーやバーボンウイスキーに多いのは、スコットランドとアイルランドが互いにウイスキー発祥の地だという主張の対立からとか、差別化を図るため「E」を入れたという説が有力だと話してきたり、村上春樹著の「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」を紹介するものだから、最近はウイスキーにまたはまり出し(以前NHKの朝ドラの「マッサン」の時もはまったが)「ウイスキーの完全バイブル」本を買ったり、紹介された村上春樹の本を読みつつ、竹鶴正孝が創業者である「ニッカウヰスキー」を晩酌に加えています。なお今年の北海道旅行でも余市にある「ニッカウヰスキー余市蒸留所」も2回目ですが見学し、しっかりと試飲もしてきました。また村上春樹の本に刺激を受け、スコットランドのアイラ島のシングルモルトウイスキー(同僚が推すキルホーマンのサナイグ)も早速買って飲んでみました。歴史を感じながら飲むというのもいいものです。今までの中心はビールや日本酒、焼酎でしたが、それに加えてウイスキーもと段々種類が増えていきますね。でもこれからも飲み続けるためにも飲酒量には気をつけなくちゃだめですね。我々の年齢も年々増えていって体力もそれなりに落ちていくでしょうから、運動や食事そして気持ちの持ち方にも気をつけなくちゃいけないでしょう。

それでは秋田高校昭和50年卒同期会の皆さん、これからも健康には十分に気をつけてお元気でお過ごしください。

    3年B組の児玉潤(めぐむ)です” に対して8件のコメントがあります。

    1. 矢沼(小菅)郷子 より:

      児玉潤さんといえば、いつも「じゅん」さんと読んでごめんなさいと申し訳なく思っていました。初めて「めぐむ」さんという読みかたを知った時には、衝撃(変な意味ではありませんので誤解のないよう)と不思議な感動を覚えたことを思い出しました。
      なんていい響きなのだろう、と。

      夏の同期会で久々にお会いした時も、谷村先生に寄り添う姿の優しい雰囲気は、高校時代と少しも変わりなかったのを今でも懐かしんでいます。

      今回のエッセイを読ませていただいたら、苦難の連続の人生を送られながらも、温かな言葉でつづられていたので、胸があつくなりました。
      今はキャンピングカーであちこちを旅されて、人生を楽しんでいらっしゃるとのこと。
      今後も穏やかな日々が続くことを祈ってやみません。

      1. 児玉潤 より:

        コメントありがとうございます✨
        苦難の人生というほどでもなく、それなりに楽しくやってきましたよ☺️
        8月の同期会でお会いした時も、高校時代の面影がしっかりとわかりました。旧姓ですが「こすげ」さんですよね。
        また働き始めましたが、それもまた楽しくやってます。ちょっと休みが少ないのが難点ですが
        次に会える機会があればまた、Bクラス皆で楽しいお酒を飲みましょう。

    2. 佐藤尚子 より:

      3B 佐藤尚子です
      リレーエッセイ拝読。濃厚なこれまでの人生を読ませていただいた気がします。これからも充実した日々を。3B一関先生の授業で児玉君が詠んだ「さようなら そんな言葉が思われて」を何故かいつも思い出しています。またお会いしましょう。

      1. 児玉潤 より:

        返信ありがとうございますm(_ _)m
        高校時代の尚子さんの印象はとても優秀な方で、最近お会いした時の印象は優秀でかつ気さくな方と感じました。
        高校時代の学習はさっぱり記憶はないですが、「枯木の巻」だけはなぜか覚えています。
        是非またお会いしましょう。

        1. 佐々木章 より:

          ダガメ君と尚子さんの話題に登りましたので、久しぶりに脇起し歌仙「枯木の巻」を見直しました。一関先生の印象に残る良い授業でしたよね!

          https://akitas50.com/wp-content/uploads/2023/04/e8a1582ff260f8df56ec70c6c661dc80.pdf久しぶりに脇起し歌仙「枯木の巻」を見直しました。一関先生の印象に残る良い授業でしたよね!

          https://akitas50.com/wp-content/uploads/2023/04/e8a1582ff260f8df56ec70c6c661dc80.pdf

          1. 児玉潤 より:

            今考えるとほのぼのとしてましたね。
            「枯木の巻」はしばらく前に印刷してました。
            じっくり読み返したいと思います。

    3. 中村順子 より:

      ダガメ君の素敵な人生が素敵な文章で綴られていて、とても良い気持ちになりました。同期会では谷村先生を、迎えにいってくださり、優しい方だなと思っていましたが、そのような関係があったのですね。本当に人生は物語ですね。

      1. 児玉潤 より:

        コメントありがとうございます
        順子さん、よりこさんと読むのでしたよね。
        いつもご活躍の記事等を読ませていただいてました。また看護師になった二男も中村先生のことは学生時代からわかっていると言ってました。
        何回かお会いした時は、明るくて活動的な方で学生時代から変わらなく素晴らしいと感じました。
        またお会いできる機会があれば、皆で美味しいお酒を飲みたいですね✨

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