3Cの加藤誠一です

随分とご無沙汰しています。3Cの加藤誠一です。

投稿のお声掛けを頂いてから、連絡もせずに1年余り、申し訳ありませんでした。
はじめは齢相応に、なにせ老人認定の節目ですから、今までこんなことをしてきた、
今後は、といったことを多少構えて紹介をと思いましたが、振り返って、立派なこと
は何もなくて、何を書いたらと思い悩んでおりました。
けれどいつまでもこのままにしておくこともできず、困った時の常套策、ここでも
開き直ってみることにしました。
丁度僕が秋田に係ることであれば、ただただ心惹かれ、無条件に嬉しくなることと
同じに、ただ秋高同期だからという事だけで、つまらぬことを書き散らかしても、こ
んな奴もいたんだよなと、お許し頂けるのではと勝手に思い込むことにしたのです。

1.仕事のこと
先月、自動車メーカー子会社のIT専門会社の監査役を退任しました。
完全な年金・預金取崩し生活に入る前、今は非常勤顧問の身分であと1年弱禄を食む
というのは、大昔、冗談めかして憧れの生活と言っていましたが、どうだか。
勤務先は学校出て順に、日本興業銀行、電気事業連合会(出向)、興銀、みずほ銀行、
新潟のバス会社(出向)、目白のホテル・結婚式・宴会・レジャー事業会社(みずほCB
より出向、転籍)、自動車メーカー、子会社のクレジット・リース会社、最後は件の
IT専門会社と色々やりました。。

仕事の内容やエピソードについては、かつて上司に、棺桶に入るまでと言われていて、
ここではお話しできないのですが、営業(融資・外為・デリバティブ)が長かった銀行
時代は総じて面白く、それなりの、今は流行らないようですが、自己実現ができた気
がします。
自分から希望したのは融資だけでしたが、英語は読み書き以外駄目なのに輸出為替の
専門家扱い、未婚なのに西日本一の結婚式場の総支配人、無免許なのに自動車メー
カーの調達部門、スマホも扱えないでIT会社と総て言われるままにやってきました。
とは言え、50歳を過ぎた頃からは忘れていた寝食中心の生活と言っていいようです。

2.生活の場
住所は、杉並区(寮)~福島市~杉並区(寮→自宅)~名古屋市~杉並区~仙台市~
新潟市~杉並区~西宮市・大阪市~杉並区~群馬県太田市~今の杉並区と変わって、
寮の移転なんかもあって引っ越しは15回以上、もう結構という感じです。
その上、時にゴルフバッグを抱えたりもありましたが、全都道府県の半分以上は出張
で行ったでしょうか。
これから何か所か、まだ行ったことのない所に行ってみたい気がします。

肝心の秋田ですが、実家は30年前に父を亡くしてから空き家、初めは別荘だねと言っ
てみたり、仙台にいる妹が月命日に通っていたけれど、経年劣化は著しくて、妹に
決心迫られて5年前に更地にして売却しました。
打合わせで何度か帰省しても、何を持っていくのか、どこに置くのか決めきれず、
結局、南中、秋高の卒業アルバムと卒業証書位しか持ち出せず、18歳で止まった
時間の景色も何も一切断捨離した気分でした。
それにコロナ、2年間お墓参りにも行けてません。

3.体と健康のこと
還暦過ぎての定番の話題のひとつは病気自慢でしょうか。
両切り煙草を45年位毎日20本、酒は1年370回位飲んでいますが、最近は脳みそ
ばかりか全身の萎縮がひどいような気がします。
体重は中学時並み、お尻は小さく、胸も脚も腕もそう、薄っぺらで細くなってしまい
ました。

尿管結石や胆嚢炎等それなりに痛い病気もやりましたが、いいですかと美容師に
鏡をあてられて、何がいいもんかと、いつも見ないでいる旋毛から前頭部の
みすぼらしさばかりは遺伝でしょうがないけれど、ほかは大丈夫と思っていました。
しかし、酒・煙草は、血管を拡げたり縮めたりで鍛えてるんだと嘯いていたら、
硬く締まって、3年前、間欠性跛行(閉塞性動脈硬化症)で脚のカテーテル施術を
やる羽目になりました。
それ以来、糖尿薬をはじめ山のような薬を飲みながらも、どこかしら普通でないと
感じる毎日を送りながら、無自覚にできる身体の働きも、いつかそうでなくなるの
だから大切に思わなければならないと思うようになりましたが、時々忘れます。

4.これから
手段が目的化していた勤労生活から離れ、義務感・使命感の大半から解放された今、
何をテーマに、どんな生き方をしたらよいのか、まだよく分かりません。
2年半の新型コロナ禍の下、過半を在宅勤務で過ごして、これからの人生の予行演習
なり、考える時間が沢山あったにも拘わらず、これというものを見いだせずにいる。
人並みに社会貢献とか今更学校戻って勉強なんて真っ平だと思う以上は、これまで
やってきた個人的楽しみに生きるしかないとしてそれは何だろう。
晴耕雨読も気儘な静かな生活というより、いつもやることがあることというように
思えて、人に向かって言い切るには難しいか。
実際、マンションの専用庭は少しばかりの鉢植えが精一杯、本はそもそも乗り物の
中じゃないと没頭して読めなくなっちゃてる。
集めたというより捨てられずに溜まってしまった翻訳ミステリと映画のソフト、
片付かないと文句を言われる度に、老後、死ぬまでにまた全部読む(見る)ために
取ってあることにしていたけれど、近頃、新刊・新作が少ない上、つまらなくなって
しまい、もう手を付けるか思案時です。

しかもショックなことには、中学の時から大好きだった二人のイギリス人が一昨年、
相次いで亡くなってしまいました。
この前、その二人が揃った、ジョン・ル・カレ原作、ショーン・コネリー主演映画
ロシア・ハウスを久し振りに見ました。
映画では人が死ぬ場面のないスパイもの、一見地味で実は味わい深いラブストーリー
と僕は思い、ラストでいつも涙腺大崩壊。興味を持ったら是非観てください。
それから、虫取り(鞘翅目)は続けよう。
先日も、近所の和田堀公園の大きなクヌギの幹をオオスズメバチの女王が齧って
穴を開けるのを、二日続けて見に行ってしまいました。
樹液酒場の大宴会にはまだ早くて、無数の小バエがたかっているだけでした。
こうして書いてるうちに、語るに足るライフワークのある一貫した人生探しなんて、
馬鹿げたことに思えてきました。
ただ概ね健康に、生きてさえすれば、ある日、何か新しいものがやってくるかもしれ
ないし、当面これをしたいがあればそれで充分じゃないか、と。

そう、最近のそれは石垣島行きです。生き物の固有種が多いところ。
怠け者の虫屋には、全国に分布するけど見つけるのが難しい種類探しよりもお手軽。
海なんか一度も入らず(干潮時のシオマネキとトビハゼは見ます)、虫取りと石垣牛
と青い魚と泡盛三昧。
これまで12~13回行っているのに、ここ3年は行けてない。
何度も出かける切っ掛けになったクロカタゾウムシは20頭位家にいるけど、さすがに
WILDはゼロとなってしまって、東京生まれサツマイモ育ちばかりになってしまった。
そんなだから、何年も前からずっと時間が自由になったらと思ってたのが6月の石垣島。
梅雨が明けて花や木や生き物たちが一番豊かで元気な時期。
デジャブのような夢に見るシーンがあります。
林道を抜け、小道を歩いて砂浜に出たら、広がる真青と遠い白い波頭の方を向いて、
半袖の袖口と裾を風にパタパタさせている。
6月の石垣島はそれでもまだ遠い。

    3Cの加藤誠一です” に対して4件のコメントがあります。

    1. 三浦和也 より:

      誠一!
      中高と恋敵だった和也です。笑
      石垣島とは奇遇です。自分、今年石垣島大ファンの娘家族と行く予定です。ただ自分の場合、生きものよりもタモリさんのように地理、例えば川浦湾とかに興味があるようです。ちょうど6月下旬なんで今年(2024年)の同期会は欠席です。再会ならず、残念!
      文章、ほのぼのとした誠一的世界観が感じられて嬉しかったです。じゃね!

    2. 佐藤尚子 より:

      誠一君、AKS50へようこそ!
      南中で一緒だった佐藤尚子です。力作エッセイ、読みました。
      いろんな場所、いろんな仕事で頑張っていらしたんですね。
      南中男子バスケ部で誠一君と一緒だった、コウキ君やシゲミ君たちのことも思い出しました。
      もうお墓参りできますよ。ご実家は残ってなくても、秋田の空気をぜひ吸いにいらしてください。
      なるべく同期会の時期に合わせてね。お元気で!

      1. 加藤誠一 より:

        尚子さん

        お久しぶりです。コメント有難うございます。
        余りそこに人が浮き出るようでない拙文に加え、高校時代も余り人気なかったのかなと、コメントがないこと内心しょげておりました。
        繋がりを確認できたようでとてもうれしく、何よりもその辺感じたであろう、あなたの
        優しさが心にしみます。
        11日は秋田にいきますので、皆さんとの再会とても楽しみです。
        翌日はお墓参りです。

        1. 佐藤尚子 より:

          加藤誠一様
          先日はお話しできて、いい時間が過ごせました。お墓参りもできて本当によかったですね。同期会も今後は開催スパンが短くなりそうだし、お互い体調に気をつけながら、この次お会いするのを楽しみに、元気で(できたら楽しく)日々送っていきましょう。

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